五七五七七のちょうどよさ
あなたの詠み出しは何音から?
休憩時間にX(Twitter)のTLを眺めていたらふと浮かんだ疑問。
31音未満から拡げる派が多いのか、32音超から詰める派が多いのか、それとも出てくる前のものをダイレクトに31音前後に当て込む派が多いのかが気になっている #短歌 #tanka
— tamaki (@_mk_tmk) October 25, 2023
普段どのような音数から短歌を詠むことが多いですか。
— tamaki (@_mk_tmk) October 25, 2023
※「31音」はそれぞれ破調(字余り・字足らず等)を含むものとします。#短歌 #tanka
①31音未満から拡げる
②32音超から詰める
③直接31音にする
④その他(コメントお願いします)
その場の勢いでアンケートを実施してみました。②31音超とすべきところを32音超としてしまっているのが残念なところ。言いたいことは伝わってくれたとは思うけどこういう辺りに脇の甘さが…集計期間は弊アカウントの規模を鑑みて50票くらいを想定し、maxの1週間としました。
回答範囲としては、弊アカウントのFFのほか、ハッシュタグ(#短歌,#tanka)を付していたため短歌に関心のあるX(Twitter)ユーザーの一部に届いたものと思われます。
集計結果
1週間後の集計結果がこちらです。回答・拡散いただいた皆様ありがとうございました!
リプライから直接回答いただいた方も集計に加え、以下のとおりとなりました。
票数は
全体で50票には届かなかったけれど、④その他に票が入っていない。
これは、②の範囲のポカミスを除いてはおおむね良い選択肢が作れたような…?マイナス音から作りますという回答がなくてよかった。
全体的になかなか票が割れたのではないでしょうか。
30票前後時点ではさらに拮抗していたので、もう少し回答数が大きければ差が出てくる可能性はあるかもしれません。
コメントより
次に、コメントを紹介しながら考察していきます。
アンケートに際して頂いたリプライ、引用等から紹介させていただきます。
コメントをくださったef @ef_utakataさん、菊池七星 @kkc_sevenstarさん、むくげ @rgc1brさん(post日時順)ありがとうございました。
・気持ちのいい一単語から
・単語から広げる派です(使いたい単語に動詞とか形容詞をくっつけて音数整える)
・七五、五七、七七を思いついてそこから広げていくことをときどきやる
・ぽんと出来た上の句にあう下の句を探す時が①
・長いフレーズがぽんと出てくることもあって、その時はその時でいい感じに組んでる
・歌いたい景の為の言葉を探す時が②です。①の方が数としては多いと思うのですが、おそらく評価は①の方が(私は)高いです。
・以前は五七五七七に収めることが気持ち悪くてトータルでだいたい31音揃っていればいいだろうといううたづくりをしていた
①にも、単語から作る方法と七五、五七、七七のフレーズから作る方法があるようでした。そこでアンケート項目を分けてみてもよかったかもしれません。
②については、景から作る場合、まず短歌定型に落とし込む前に直接言葉で表現していく過程があったり、シチュエーションを具体的に設定してから望む場合はこの方式になるでしょうか。
アンケート開始時は俳句も詠む人は①寄り、小説も書く人は②寄りになるのではないかと予想していましたが、普段の作歌方式が題詠中心か、連作中心か、他には言葉から始めるか情景から始めるかによっても過程が異なることが示唆されるようなコメントを頂けました。さらに考察を進めるとしたら、質問項目を増やしての検証が必要そうです。
関連書にみる作歌過程
以下の関連書籍では、チュートリアルとしての「作り方」にあたる項目には次のとおり示されています。個人的なおすすめを兼ねて紹介します。
1.主題を決める
2.対象の細部を観察する
3.気づいたことを作品にする
4.具体化する
歌にしてみたいことを見つけた後、短歌定型に当てはめていく段階が解説されています。こちらは今回アンケートの②、③寄りで、景から作る場合はこちらの流れが適していそうです。写生を重視した端正でクラシカルな歌作りがお好みの方に合いそうな一冊です。推敲・添削の際の観点が特に役立ちます。
2.「何が尊いか、どう尊いか」を考える
3.「どのようだ、といえばそれが伝わるか」を考える
4.前半(五七五)を決める
5.後半(七七)を決める
「尊い」という強い情を起点として作品に仕上げる過程が順を追って解説されています。①のフレーズから作る流れに近そうです。
先月発売されて早速チェックしてみました。尊さを語りたい動機から拾いあげて、詳細なテクニックまで伝授してもらえる濃密な一冊です。
おわりに
語からも景からも情からも作れるとはなんと便利な五七五七七…
いわば、端的に紡ぐ人にも、詳らかに紡ぐ人にも寄せやすい懐の深さ。
あくまで個人的な範囲で投げかけたアンケートでしたが、数あった和歌形式のうち短歌が広く永らえたのも、ある程度の余白を残しながら伝えたいことを盛り込みつつ、どのように世界を捉える人にも馴染む、そのちょうど良い長さにあったからなのかもしれない…などと想像につなげつつ、結びとさせていただきます。
突然のアンケートにご協力いただき、またこの記事にお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
Z世代の心つかむ短歌ブームとは?31音の不安や焦りSNSで共感
https://www.yomiuri.co.jp/otekomachi/20230325-OYT8T50012/
横山未来子, 2022, 『のんびり詠んで、すんなり身につく いちばんやさしい短歌』, 日本文芸社.
榊原紘, 2023, 『推し短歌入門』, 左右社.
不可視化のための対価
→ 前回から続きます。
「こんな世界に生きていておかしいと思わないのか」
10月13日、JR札幌駅構内で刃物を持った男が目撃されていた。見出しはその際に男が叫んでいたものである。
これほど芝居がかっていては漫画かTVドラマの導入のようにも思える。
(こんな世界に生きていておかしいと思わないのか)
処理しきれていない何らかの澱を思い返す。理性かなにかの皮を二、三枚剥げば私も似たようなものかもしれない。ひょっとしたら一枚きりで済んでしまうかもしれない。
そうよぎった途端、踏み外した向こう側との境界が以前よりは明確には見えなくなっていた。
引用にあたって再度記事を確認したところ削除されていたため上記のとおり差し替えた。現在は本人の出頭により捜査中となっている。
男は10代の少年であった。邪推にすぎないが、同世代への影響を懸念したのかもしれない。
前回の同窓会のLINEの流れでは、一線を越えてしまった後の「彼ら」については頑として語られなかった。
今になって眉を下げながら「彼ら」には援助が必要だったのだろうとひとまずの結論に落ち着かせているのもその場しのぎ的に思われる。
見下ろす側にあることを前提としている時点で既に思い上がりではなかったか。
制度を担うもの
真に助けを要する人は助けたくなるような姿をしていないものとも聞く
そのため、思いやりの有無などに左右されて取りこぼしを生むことのないように福祉制度は存在するのではないか。
しかし制度の実行部隊を担うスタッフらとて元は個人であり、リソースとしての善意と滅私をあてにされ続ける世界は変わらず広がっている。
従事者の負担と志望者の減少を考慮するとそこに頼り続けることができるとも思いがたい。
育児や教育に関わる情報に触れようとすれば、そう望まなくても期待を煽るような情報が飛び込んでくる現状である
出生数の減少、教職並びに福祉関連職の人員不足を見るに、人間を産み育てケアすることの歓びに重圧が勝る現状も無理からぬことであろう。
人間に代わる存在が人間を養い、面倒を見るようになるまであと何年を残しているだろうか。
どこかが浮けばどこかが沈む
足元にまとわりついてきた者を「底辺」と吐き棄てたくなる心境も、次世代ではそれらを避けたくなる心境も理解しているつもりでいる。
それでも、和解には至らなくても、見たくなかったとしても確実に在る者、そして見たくない者を見ずに済ませてくれるものについての認識は少なくとも持ち続けておきたい。せめて反面教師辺りにでもしておくのが限度ではないか。
着地点があまり整わなかったかもしれないが、ここ最近の疑問点として留めておいた。
お付き合いいただきありがとうございました。
公立の他人事じゃない溝のこと
中学までの同級生から複数の刑事犯が出ている。ここ10年間のことである。
「公立校出身だと底辺層を見れる」系の言説が好きじゃない。人を教材みたいに言うのが鬱陶しい、社会を三角形みたいに言うのがタルい、など言葉の問題もあるが、そもそも内容に実感が持てない。だって、ドロップアウトする人たちは次々に教室からいなくなって、結局は不可視化されてしまうから
— 九月 (@kugatsu_main) October 19, 2023
今回は上記postにいう「公立校の底辺層」と「不可視化された存在」に関わりそうな経験を思い返していく。
私はいわゆる、地方の公立校(小学校〜高校)の出身である。
大学の同級生には「よく言えば安上がり」と嘯いていたが、遜ってみせる中にも思うところはあった。
「底辺層」とも呼ばれなくなる
刑事犯となった同級生のうちひとりは暴力に訴える子、もうひとりは何かと保護の行き届いていない子、だったと思う。
授業も課外活動も彼らのためにしばしばかき乱された。ひとつ上下の学年より易しい工作物をつくり、簡単な曲でばらばらのリコーダーアンサンブルを奏でた。
いつだったか当時の担任と話す機会があったが、様々な面からみて分散が大きく、受け持ったうちで最も統率が困難な学級であったとの釈明を受けた。
彼らの助けになりたかったかというとどうにも素直に頷けはしない。
彼らに限らず、そこに呑まれていた人たちの無節操もまとまらなさも確かに侵害的なものに感じられていたからだ。
ゥチら最強の04娘01
先日、当時の「強いグループ」のひとたちから同窓会の話が立ち上がった。
皆が倣っていた、いわゆるギャル語のような表記
同窓会は断ることにした。
そこは今なお私には侵害的な空間であった。
彼らにとっての私(たち)は依然しょうもない陰キャといった辺りだろう。
対話と和解という尊い営みは、双方がその先にベネフィットを見出せるときにしか発生しない。おそらくずっとこのまま、互いに嗤い合っていく。
ifに根ざした期待は止まず
居心地の悪さを感じていただけに「公立では底辺を思い知らされる、あるいは学べる」という言説にはどこか共鳴しない部分がなくもない。
しかるべき環境にあれば負わなかった痛みもあるのかもしれない、とifを夢想したこともある。
かと言って、選抜のかかった均質な集団にいれば本当に傷まないのか?勝ち続けられるのか?ひとりだけでも疵のない育ちを歩もうとすることがいかに難しいか。
選抜をクリアできる側にあることを前提として語られがちである点も引っかかるところ。
いま挙って教育競争に駆り立てている保護者は、わが子に同様の痛みを負わせたくないがためにそうするのであろうことは理解できる。
しかし、その投入資源に見合う期待が実るとは限らないことを思うと、流行りの「ガチャ」の喩え
早期からの教育競争に立たされた側については実感を伴って語れることはないので、以下のとおり近日の記事を引かせていただく。
親が子どもの耐えられる限度を超えて勉強を押し付け、時には暴力も伴う「教育虐待」の被害が道内外で後を絶たない。「教育熱心」との境界があいまいで表面化しづらく、親が虐待であることを自覚しないまま、子どもの心身を傷つけているケースも目立つ。
「教育虐待」後絶たず 限度超え子どもに勉強強要 時には暴力も(北海道新聞) ‐ Yahooニュース
→ 次回へ続きます。
言葉と文章がこわい
こんばんは。眞木です。
あなたは〈言葉〉が好きですか? 私は今ちょっと怪しいです。
初めに言葉ありき
この頃、言葉なり言語についてなんとも言い切れない内心が煮え返してきている。
言葉が好きとか信頼するとかしないとか、特段意識することでもないかもしれないけど、とりあえず聖書にも謳われているあたりからいかに人間がそれを絶対視してきたかがわかる。
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
個人的に、言葉はそのような輝かしい存在というよりは、常に無謬と清潔を強いてくる鬱陶しいものであった。それも神性のうちともいえるかもしれないが
「言語化能力」と呼ばれるもの
ここ5年程だろうか、「言語化能力」なる力をもてはやす雰囲気があるようだ。雑感として、たいてい「解像度」という語を伴って説かれているような。 それ以前は「文章力」などもう少し淡白に呼ばれていた覚えがある。
この文をみると、「言語化」は金がかからないし、特殊技能もいらない。 今日日風の「コスパがいい」といえる成功方法といえるだろう。
この骨法は物価高になり、実質賃金が下がり続けている日本人にとっても 余計なお金がかからない点において魅力的であるといえる。
もしかすると、「言語化」の浸透は衰退途上国にある日本の現況をあらわしているのかもしれない。
も一ついえば、「だが、今は、望めば誰もが、より自由に発言できる時代になっている。」
とあるようにやはりSNS全盛期であることも一因であろう。
上記引用元では、出版物のトレンドをたどり、「言語化能力」というスキルがとりわけビジネス系・医療系の2分野において重用されるようになった旨を指摘している。
力が欲しいか?
私的な話に戻るが、「言語化能力」についてはそこそこ因縁含みの付き合いをしてきた。
作文の賞も弁論大会の代表もずっと、あらかじめ決まっていたかのように内申点の高そうなアイツが独占していた。
後期入試の論文対策などは放課後に半泣きで添削を受ける始末で
とある作品に浸ってからは熱意が心許なさに勝ってファンコミュニティに二次創作小説を投げ込むなどしていた時期があったが、「文才無いですね」とのコメントをきっかけに遠ざかってしまった
URLも思い出せないし、すでにないかもしれない。探しに行くつもりもない。このまま何ら関わりのなかったものとしてwebの大海に沈んでいてもらおう。この一連の記憶もぜんぶ嘘だったということで、だめですか。
今に至っても頭痛を堪えながら報告書なり稟議書を社内に放流しつつ過ごしている。
とりあえず、文章を捻り出すことは公私問わずレスポンスに身構えながら気力体力を削り続ける苦行でしかないのが現状であった。
力が欲しいなら…
先述の引用元と併せて、「言語化能力」を讃えるムーブに対する違和感も挙がっている。
巷間いわれている「言語化」は経営学者・野中郁次郎の「形式知」とにている。
そして、野中は「暗黙知」を「言語化」しようという考えだったのである。
「形式知」と「暗黙知」との比較が忘れられた結果、この二つの緊張感が失われてしまったために 今のような「言語化」だけが目立つようになったのではないかとも考えられる。
そのため「言語化」賛美がやまないでいるのかもしれない。
何かを殴り書くべきだ。これはもう、「言語化能力」なんてかっこいい言葉を流行らせた嘘つきが悪い。世に溢れる「言語化」コンテンツは、全部いっぱい考えた成果に過ぎない。最初から言語化なんかできない。能力の問題じゃない。特殊技能みたいに言いやがって。とにかく書き殴れ。… pic.twitter.com/bCcQdFS0m3
— 九月の『読む』ラジオ (@kugatsu_readio) October 2, 2023
得意な人が得意なことで得意になってそれを能力として喧伝する、いつもながらの流れが生じているのかもしれない。「特殊技能みたいに言いやがって」って、本当に。
文章の産生に何らかの苦痛が伴う方はぜひ上記postの末尾まで読んでみてください。励まされるかと思います
書かなければ書けない
しばらくの間まとまった私的な文章を書く機会がなかったからか、これでいいのかと…語りたいことがあると宣言しながら細切れで出てくるばかりで。
日頃使わない脳部位は滑らかに動作しないと俗に言われるが、Twitter(X)での短いパラグラフをつなげる話法に慣れてしまった身には沁みるものがある。どうなんだろう。
言語化能力を「鍛える」とか敢えて言いたくはないけど、何かに強いられてではなくて自分の意向によって、出力をある程度の分量にまとめることで〈言葉〉と和解しながら手に馴染ませていけたらいいな。
以上、心に留まった発信に後押しされてつい書きなぐった乱文でした。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
tanka_202309_02
2023年9月にweb投稿した短歌です。
前編(tanka_202309_01)と併せてお読みください。こちらには口語のものを中心にまとめています。
投稿時より一部推敲の上表記等を変更したものを含みます。
二〇二三年 九月(二)
君だってそわそわしてるお互いに絡む視線がまた迷ってる
君だって世界のいちぶバッテリを補充されつつ埋め込まれてる
丁重なもてなしとして送る手はすでに祈りを孕むかたちで
やさしさの補集合とは数時間なめらかに在るための優しさ
そうやって君に見据えられていたい素数かどうか確かめる眼で
あの子より短くしたらダメらしいシーブリーズのシャボンが包む
その日まで一緒にめくる単語帳残り時間をかぞえるように
壊れかたさえも知らないぼくたちは互いの肌に痕をのこして
失くなった予定に代えてせめてものケーキとともにいつもの路線
ひとつずつ任を解かれて保冷剤またの夏までふにゃりとねむる
(パクチーはいいや)そこまで知るきみにあたし検定2級をあげる
はなびらで傷を塞げば偶像に近づいてゆくアリスの競演
琴線をつまびくようにさりげなく深部に触れる君はずるいね
甘やかなひとときでした間引かれるために蒔かれていたとも知らず
おわりに
詠んだものはメモアプリに打ち込んでざっくり整理していましたが、blog用に仕分けするにあたってスプレッドシートでの管理を始めました。投稿時期や題などが一覧できて便利ですね。
毎日少なくとも一題ずつ取り組むことで次第に慣れてきましたが、肝心の自由作品はなかなかまとまらず今後しばらくの課題です。
お読みくださりありがとうございました。
tanka_202309_01
2023年9月にweb投稿した短歌です。
後編( tanka_202309_02)と併せてお読みください。こちらには文語・旧仮名遣いのものを中心にまとめています。
投稿時より一部推敲の上表記を変更したものを含みます。
二〇二三年 九月(一)
最果てに星はありやと手を延べてアステリスクの有意のひかり
立ち並ぶ像の一体一体に侵されがたき空のあること
脳の奥懊悩ふかく入り込めり折りかさなれる襞のうらにも
あふる風なべて果無く遺伝子の舟といへどもいづこへ往かむ
九重の夢のなかばに落ちぬれば幾たび巡るめざめの床の
彼は問ふRorschachのゆふぐれに映し鏡の胡蝶めぐりて
わたくしの辞書の頁を探りつつ改めゆけるあなたの筆先
誰某の脆きかなめを君のみぞ知る鍵付きの抽斗として
禁域に手をくはへられかの村にまします杜の怒りしづかに
日輪の陰に呑まるるその刹那疾くぬばたまの昼はおとづる
鉛直の梅の立枝に干る贄やワラキア公の掠奪のごと
訪ふ足の止みてはらり、と開かるる図書委員らの純なる動機
氏育ち争ふ人のおもてにも余すことなく西日の照らす
弔ひの岸に群れゐる曼珠沙華ひたくれなゐに魂を送りて
おわりに
9月中旬頃は思うように作れた感触があります。
初句指定、題詠、テーマ詠等の出題方法の別と出題元がわかるように題を付記するようにしてみましたがいかがでしょうか。レイアウト・構成についてのご意見もお待ちしております。
お読みくださりありがとうございました。
tanka_螟峨↑縺?◆
諸事情により
あの人の趣味に沿わせたとりどりの垣根を崩し、明日は火曜日
証拠なら揃っています。気を付けて。ご存じですか? すでに五人が
ここももうお終いですか。見たでしょう、地平を舐める紫の手を
払い下げ個体ですけどいいですか? 65ぉはNo.6523
始まるよ。九月某日あなたから。青いブザーが合図だからね。
お読みくださりありがとうございました。